脳浴

 PCで文字を打っているとき、「能力」と入力するつもりが、「R」キーの押し込みが甘かったのか「脳浴」になった。すぐに2文字消して「能力」と打ち直せば良いところを、なぜか僕はキーボードを叩く手をとめ、目の前のモニタに表示された「脳浴」の意味を理解しようとしてしまった。

 

 脳浴? 脳浴ってなんだ? 「温浴」は温かいお湯に浸かる行為を意味する言葉だ。「海水浴」は海水に浸かる行為を意味する言葉だ。他にも外気に身体を包ませる「外気浴」なんて言葉もある。という事は「脳浴」は、脳の中に浸かる行為を意味する言葉なのかもしれない。

 続けざまに、僕の脳は最悪な光景を妄想する。全裸になった僕が家の浴室のドアを開けると、いつも使っている浴槽の中にお湯ではなく脳が入っている。60人分くらいの脳が浴槽の中にミチミチにつまっている。僕はその中にゆっくりと右足を差し込む。あまり勢いよく足を突っ込むと、下の方にある脳を踏みつぶしてしまうから注意が必要だ。慎重に脳をかき分け、右足の親指が浴槽の底に着いたことを確認したら、これまた慎重にかかとを着ける。右足の裏が完全に浴槽の底に着いたら次は左足だ。両手で浴槽のふちをしっかりとつかみ、ゆっくりと左足を脳たちの中に挿入する。浴槽のふちは脳から出る謎の汁でぬめぬめになっていて、気を抜くと手を滑らせてしまうから気を付けなければいけない。

 両足が入ったら、次は体をゆっくりと浴槽に入れる。このときも尻で脳をつぶしてしまわないように注意する。全身が入ったら、身体にまとわりつく脳の感触を感じながら「ふぅ~」と息を吐く。脳の生暖かさが気持ち良い。

 

 生臭い浴室の中の、脳で満たされた浴槽の中で今日1日の出来事を振り返る。今日は何があったっけな、お昼に友達にウケ狙いで言った冗談、冗談だとしても友達を不愉快にさせちゃったかもしれないな、今後は気をつけなきゃ。なんてことを、適当な脳を撫でまわしながら考える。

 

 そういえば今日のミスはやらかしたなぁ。先週も同じミスしちゃったよなぁ。先輩はよくあるミスだから、って笑ってくれてたけど、さすがに2回も同じミスをするのは情けない。次から気を付けないと。何回同じミスを繰り返せば学習するんだろうなぁ、自分。嫌になるよもう。そんなことを思いながら、目の前の脳に顔をおしつける。脳のふっくらとした感触を鼻で感じつつ、1分くらい反省したら、もうこの反省はおしまい。失敗から学習する事は大事だけど、失敗そのものは引きずってても何の得もない。失敗から得た教訓だけを胸に刻んで、失敗そのものを忘れる事も大事だ。

 「...よし!」とわざとらしく声を出した後、 浴槽の下の方に溜まっている脳汁をすくい上げ、顔にバシャッとかける。パシ、パシと両頬を2回たたいて自分を鼓舞する。明日から頑張れば良い。今日の失敗はもう忘れて、リラックスした後にちゃっちゃと寝ちゃおう。

 

 リラックスするために肩までしっかり脳に浸かる。目線が下がったことで脳の表面のシワがよりはっきり見えるようになった。複雑に入り組んだシワの模様を見ていると吸い込まれそうになり、なんとなく目の前の脳にぷちゅりと指を刺してみた。人差し指を生暖かい液体が包む。くちゅくちゅとほじくってみた後、指を抜いて舐めてみた。薄い塩気のある味がする。体液の味だ。

 

 脳シワ迷路で遊びたい気持ちもあったが、若干のぼせてきたので浴槽から出てシャワーを浴びる。脳汁が身体や髪に付着したまま放置するとカピカピになって不快だからしっかり洗い流さないといけない。

 

 

 

 ...ハッとする。虚ろになっていた僕の目に光が宿る。時計を見ると「脳浴」とタイプしてから3分が経過していた。気持ち悪い妄想に貴重な人生の3分間を費やしてしまった。こういう無駄な時間の積み重ねが人生の質を下げるんだ。

 

 でも、脳浴、普通にちょっと気持ちよさそうではある。死ぬまでに1回はやってみたいなぁ。